これまで何度も行きたい!と思って計画するも、なぜか不思議なくらいうまくいかなかった出雲への旅。
出雲にご縁がないのかなあ・・・今回も行けるかな?という思いはあったのですが、するするっとチケットや宿も取れて天候の問題もなく無事出雲を訪れることが叶いました。
稲佐の浜
まず、向かったのは稲佐の浜。
八百万の神々が出雲に集まる際に、まず最初に足を踏み入れるのが稲佐の浜と言われています。
国譲り神話の舞台でもあります。国譲り神話とは、地上を統治していた大国主命が、神々の住む高天原からの使者を稲佐の浜で迎えて、国を譲り渡す決定をした、という神話。
そして、海岸の南は「国引きの神話」の舞台として伝えられています。
出雲ができたばかりの頃、力持ちの八束水臣津野命が他の国から土地を引っ張ってきて広くしようと、新羅(現在の韓国)の付近の土地を出雲に引き寄せた、とされています。なんともスケールの大きな話ですね。
稲佐の浜に到着して、まず目に入るのが「弁天島」という大きな岩。
昭和40年頃までは、木橋を渡らないと弁天島には渡れなかったそうです。潮流や川の変化の影響で、島の周りに砂がたまるようになって、今は陸と続いています。
岩の頂上には海の神、豊玉毘古命が祀られています。
ここ稲佐の浜から持ち帰った砂は、出雲大社の素鵞社で神砂と入れ替えて頂いて帰ります。
曇り空ではありましたが、人もいなくてゆっくりと時間を過ごせ、石達も波打ち際でたっぷりと浄化とパワーチャージすることができました。
出雲手斧神社 白龍大神
出雲大社へ向かう途中、なぜか導かれるように道を反れ山道を登り、辿り着いた場所にあったのがこちらの出雲手斧神社。
本当は違う場所に行こうとしていたんですよね。
ご祭神は手置帆負命(タオキホオイノミコト)と彦狭知命(ヒコサシリノミコト)。
この二神は天照大神が天の岩戸に引きこもった時や、出雲大社の造営を任された工匠の神様。
良くみると、お社の隣のご神木も白龍大神として祀られておりました。
この場所でも手をあわせると風がざざーっと吹き、そしてゴゴゴ、という音を感じました。
展望台があり、登ってみますと出雲が見渡せます。絶景!!
先程の「国引きの神話」の様子を想像しながら時を過ごしました。
出雲大社
いよいよ出雲大社へ。
はじめての出雲ということで新品の白いシャツワンピースで向かいます。どきどき。
出雲大社は太古の時代、巨大神殿があったといわれています。
現在の本殿は1744年に造営されたもので、古代の神殿はなんと94mもあり、ビルにすると17階建てに相当したそうです。
鳥居をくぐり参道を進むと、見えてきたのが「ムスビの御神像」
大国主大神が、生き物が幸せになるための「縁」を結ぶ「縁結びの神」となったのは、海の向こうから「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)が現れ、受け取ったことがはじまりとされています。
私も手に乗せちゃったりして。受け取りました~!うふふ。
そして拝殿へご参拝を。
出雲大社は一般的な神社と異なり「二礼四拍手一礼」です。
四拍手は、4つの魂や神様を表現している、し=幸せという意味を込めている、など諸説あるそうです。
そして本殿後方にある素鵞社へ。
ヤマタノオロチを退治した「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」が祀られています。
裏手にはご神体である八雲山があります。こちらで先程の稲佐の浜の砂を奉納し、代わりに神砂をいただきます。
こちらはお守りとして肌身離さず持ち歩いたり、家の四隅に埋めて清めることができるそうです。少量にはなりますが、皆様にお分けしたいなと思って準備しております。
ぐるりと周って最後に神楽殿へ。しめ縄は長さ13.6m、重さ5.2tだそうです。迫力が凄いですね。
何より修学旅行生が楽しそうに写真を撮っていたのが、とても微笑ましくて印象的でした。
この2年弱の間、当たり前に行われていたことが、なかなか難しくて。
もちろん私も戸惑いましたが、私の年代の1年と学生時代の1年に経験出来る事や重みのようなものって全然違っていて。
しかも、若い頃の1年って長く感じなかったですか?年と共に1年が早く感じるのは私だけでしょうか?
人との密な行動も制限され、学校行事も無くなり、やりたい事も思うようにできなくて行きたい所にもいけない。
仕方ないとわかっていても、やりきれない気持ちになることもあったのだと思います。
もちろんそんな中だからこそ、やれる事や楽しみを見つけたり、出来たことや気付けたこともあったのだろうな。
学生さんの笑い声を聞きながら、1日も早く日常に戻りますように、とお願いしてきました。
大穴持御子神社
そしてこちらも予定していた場所ではなく、なぜか導かれるように辿り着いた場所。
何か気になる方へ歩き、木々が生い茂る森を川沿いに進んでゆきます。ひんやりとした空気が心地よい。
川は水がほとんどない状態だったのですが、流れているともっと気持ち良いんでしょうね。
10分程歩くと、小さな橋が見えてきます。
その橋を渡ると、急に空気が変わるのを感じます。ここから距離は短いけれど、なかなかの坂道を登ります。
先にあったのは大穴持御子神社(三歳社)ご祭神は高比売命、事代主神、御年神の三柱です。
高比売命は大国主命の御子神。容姿端麗でその魅力から恋愛成就、また和歌の祖とも言われることから、文芸上達の御利益があるとされています。
事代主神も大国主命の御子神。「事を知る」託宣の神とされています。
また、出雲の国譲りの際に釣りをしていたことから、豊漁の神として崇められて、七福神の恵比須様と同一化され、商売繁盛の御利益があるといわれています。
御年神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の御孫神。実り、収穫の神とされています。
先程、記した小さな橋を渡った瞬間、ぱっと空気が変わるのを感じた、と綴ったのですが。
後で写真を見返していたら、橋を渡る前と坂を登ってから撮った写真の間に撮った記憶のない写真が・・。
丸い白い球が写っております。
撮った写真のギャラリーで前後を確認してみると(ギャラリーのスクショを貼ってみます)
橋を渡る前と渡った後の写真の間に挟まれている。
しかも撮った記憶はない。とても心地の良い場所だったし、全く嫌な感じもなく、時空への切り替えポイントだったのかな・・・。なんて思ったりしました。
須佐神社
次に向かったのは須佐神社。
全国に数多くある須佐之男命ゆかりの神社の中で唯一、御霊をお祀りしている神社です。
ご利益は夫婦円満、良縁、病気平療など。
その中でとてもパワーを発している場所が本殿の裏にあるご神木。
推定樹齢は1300年と伝えられ、幹の周囲は6m、根の周りは9m高さは21mあります。
「大杉さん」と呼ばれているそうです。なんだかかわいいですね。
また、須佐神社には七不思議がある、といわれています。
その中のひとつが、須佐之男命がこの地を清めたとされている「塩井」境内に湧いています。
稲佐の浜と繋がっており、日本海が満潮の時、地表に塩の花を吹くとのこと。かなり距離があるのに不思議です。
こちらの湧水も頂戴してきました。本泉は浴用を主とする、と記されておりますので、空間スプレーにしようと準備しております。
天照社
須佐神社の鳥居の後方に、須佐之男命の姉である天照大神をお祀りする天照社があります。
ヤマタノオロチを退治した須佐之男命は、そのあまりの乱暴さに姉である天照大神が追放し、須佐之男命は地上に降り立ちます。
そして、最終の地になったのがこの場所と伝えられています。
お社はひっそりと鎮座しております。
隣は畑でなんとものどかな風景。昭和にタイムスリップしたみたいです。
向い合わせになっているの、わかりますか?
向かい合わせの神社って珍しいですよね。天照大神が須佐之男命をそっと見守っているようです。
以上が出雲の旅の記録になります。
壱岐から2泊3日。前回も綴りましたが、2泊3日と思えない。ものすごく長い時間旅をしていた感覚です。
パワーが凄すぎて日常に戻るのに本当に時間がかかりました。
ブログを綴るのにこんなに時間がかかったのも初めて。
こんなに拙い内容なのに、はっと気が付いたら何時間も経っていて本当に驚きです。
少し宣伝になりますが、言葉や写真では伝えたいことが伝えきれていなくて。
だけどその分、石達にしっかりと充電してきました。
その石達からもエネルギーを感じていただけるととても嬉しいです。10月末にはブレスレットをお披露目予定です。
壱岐、そして出雲。本当にパワフルな場所でした。是非、訪れてみてください。私もまた行けるといいな。